20110316

今日のごはん

2011年3月16日(水)

カルピス2杯
お昼(2時ごろ):バラととりももと大豆のトマト煮にほうれん草3束
大豆がおいしい。
大風に雲が吹き飛ばされて、晴れてきたので、外に行くかー。

16:10
と書いたのが14時9分。二時間前。
昨日、夢で、いつもつかっているカバンが
ぴかぴかになる夢をみたのできれいにした。
植木鉢からこぼれた土もぜんぶ。
なんというか、まだ、非常時だな。
仕事しよう。

01:04
おしゃべりに来てくれたお客さま(ななこ)が一時間ほど前に帰った。
夜食:
クッキー二枚。ウーロン茶をたくさん。

わたしのほうの、心がゆるんだ。

4日間に食べたもの

地震の揺れのたびに食欲が増して、
みんな太ってきたんじゃないか疑惑があるので、
あらためて食べているものを記録しておくことに。
とりあえず目の前のことをしていると落ち着くし、
食べ物のことを考えると生きている気がして…。


・意外と甘い物はたべてないか。
カルピスは4日で一本空けたけど、ミルクレープと今日の雪見だいふくぐらいのもので。
・海藻が好きなのはもとからで、毎日海藻を食べているのは珍しくないこと。
・いま食べたいのは玄米!ごましおふって、かみしめたい。
・小麦粉も、あまり食べたくない気分だけど(パスタもすごく重く感じる)
ホットケーキは食べたいな。ふわふわしたものが食べたい。


 2011年3月11日(金)
とりあえず某戸越まで歩いていって、一緒にごはん。
ふたりとも朝からなにも食べていなかったので、猛烈に食事

昼兼夜:
・ポカリスエット1リットル
・ミートソース+チーズ
・マルガリータピザ
・ミルクレープ


2011年3月12日(土)
台所の戸棚からなだれてきた乾物の海苔をひたすら食べていた1日。
マルエツに行くがほぼ食料なし。
地元の商店街の名残りを感じる1日。

タリーズ:ラテ
昼: 海苔ごはん
おやつ:海苔ごはん
夜:レバーと海苔のどんぶり


2011年3月13日(日)
日祝限定の朝風呂へ、妹と行って、帰りに東急ストアへ。
長崎のするめいか1パイ(198円)と五島の塩。
宮城のめかぶ、群馬のほうれんそうなど買う。

昼:カルピスたくさん
おやつ:とろろこんぶ
夜: いかと鶏もものトマトソースパスタ
おやつ:ブルボンのなんとかバーム
夜食:いかと里芋のわた煮
夜食2:とろろこんぶ


2011年3月14日(月)
むくみ。塩分とりすぎ&口にヘルペス発症。疲労か。
昨日買った宮城のめかぶをすこしづつ食べる。

朝:ひきわり納豆とめかぶ稲庭うどん
おやつ:めかぶ
夜:いかと里芋のわた煮にごはんをいれて雑炊に
夜食:のりとめかぶ稲庭うどん


2011年3月15日(火)
ヘルペスがすこし改善。ひたすら眠かった。
白いごはんやパスタは、1日1食でいい感じ。
ほんとうは、玄米や大豆がいいのだが…

朝(5時ごろ):ごはん、ひき割り納豆、とろろ昆布と海苔のすまし汁
おやつ:雪見だいふく(半分)
昼:豚バラ、鶏もも、たまねぎ、ほうれんそうのトマト煮
おやつ:とろろこんぶと岩のりの汁
夜(10時ごろ):トマト煮に大豆を投入
夜食:(ブルボンは食べず)

20110313

二日目の夜

マンションで最初の揺れがあったとき。
今日、原子力発電所の爆発のあと。

パニック状態と、覚悟しなければと自分を御しようとする強さを
はげしく行き来していたことを思い出す。
あまり大きな声ではいいたくないことだけれど、ぷつりと、あきらめそうになった。

そのまま気持ちがざわざわとしていて、じっとだまっていることに耐えられず、
ぽつぽつと、この状況下であいかわらず個人的なことばかりをTwitterでに書き込んでいる。

友人も気にかかるし、TLを見ないわけにも行かず眺めていたのだが、
ところがなぜか、そこで伝えられる事態の凄惨さやまっとうなやりとり以上に、
善意の情報でありながら、何度もおなじ情報が掲示される繰り返しに引っかかった。
個別の方々の必死の気持ちに共感する以前に、
これだけの数の人々が「そうなってしまう」ことになんともしがたい違和感を感じ、
まちに下りて、小さな書店へ出かけた。


結論を書いてしまうと、この渦中のうちにできるならば、
いつの日か自分は死ぬという条件を受け入れてそのうえで、
最期の日まで、自分はどう在りたいのかをしっかり考えて前に進みたい、とふかく思った。


幸いにも、どんな手を使ってでも守らねばならない子どもはまだ産んでいないし、
背負って逃げねばならない老いた親がおなじ屋根の下にいるわけでもない。
社会的に重大な責任がある立場でもなく
(こうして書いていて、それこそがこれまでの怠惰を語るさみしい事実でもあるかもしれないけど)
だからこそ、残された時間と能力、いまの自分が持てるリソースを向けるべきは
自分は何をして、どこを向いて生きるべきかを、
善き世界とは、どんな場所にしたいのかを考えることだ。


ある意味、情報が津波のように押し寄せてきていて。

情報を処理するだけで疲れ切ってしまうのに
リテラシーとして、自分がいま知らねばならないことを
この大海から地道に拾いあつめねばならないような気持ちにもなる。

でも、生き抜くことに本気にならないといけない時だからこそ、
「生存のため」の情報に押し流されていてはきっとだめだ。

生きる目的。情報の目的。
わたしたちが、いのちにしがみつかないといけない理由。
ひとりひとりが本気で生きなければ、きっと見つからない。

政府も、Twitterも、緊急地震速報も、教えてくれない。
カネでも買えない…全部、手段にすぎないから。


情報をあつめて生き残ったとして、すべてが落ち着いたとき、
一昨日までと同じような強度で生きていける自信がわたしにはない。

昨日の地震が来たそのときには、たったひとりの自分自身の心が支えられなかった。
自分が死んではいけない理由がみじんも思い浮かばない程度の、
自分の人生のちっぽけさが、怖くなった。


わたしにだって守れるちいさな関係や、感性や、風景があると信じている。
そういうものたちを、もっと自分の深いところからひっぱりだして、
だれかと交換し続けていかないと、
私はこの幸せに感謝することがいつまでたってもできないだろう。

もしすべて洗い流されたように見えても、生き残るべき多くのいのちの軌跡があるはずだ。
そのためにもがくのだ。